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【小説】あたりまえの檻

私は、自分が正しいと確信していた。

職場の会議で、新しいプロジェクトの進め方について議論になった。私の提案は明らかに効率的で、論理的で、実現可能性も高い。なのに、なぜか上司は首を横に振り続けた。

「君の案は確かに優れている。でも、採用できない」

理由を聞いても、曖昧な答えしか返ってこない。組織の文化がどうとか、タイミングがどうとか。要するに、彼は変化を恐れているだけだ。私はそう結論づけた。

帰り道、いつもの書店に寄った。新刊コーナーを眺めていると、一冊の薄い本が目に入った。タイトルは『問題と解決の間にあるもの』。著者の名前は知らなかったが、なぜか手に取ってしまった。

その夜、ベッドで本を開いた。

冒頭にこう書いてあった。

「私たちは、問題を『解決すべきもの』として捉える。しかし、誰かにとっての問題は、別の誰かにとっての解決策かもしれない。あるいは、そもそも問題ですらないかもしれない」

何を言っているのか、最初は理解できなかった。問題は問題だろう。それ以外の何だというのか。

本は続けた。

「ある会社で、製品の不良率が高いことが『問題』とされた。品質管理チームは必死に対策を講じた。しかし、実は営業チームにとって、その不良率は『顧客との接点を増やす機会』だった。修理対応を通じて、より深い関係を築けていたのだ。不良率をゼロにしたとき、彼らは顧客との距離が遠くなったと感じた」

私は読む手を止めた。

これは極端な例だと思った。でも、何かが引っかかった。

本はさらに別の例を挙げた。学校で、ある生徒が授業中に質問ばかりする。教師にとっては『授業の進行を妨げる問題』だ。でも、その生徒にとっては『理解を深めるための当然の行動』だ。クラスメイトの中には『退屈な授業に変化をもたらす存在』として歓迎する者もいる。

同じ現象が、立場によって全く違う意味を持つ。

私は、今日の会議のことを思い返した。

私にとって、現状の非効率は『解決すべき問題』だった。でも、上司にとってはどうだろう。もしかしたら、その非効率な手順には、私が見えていない何かがあるのかもしれない。長年かけて築かれた人間関係とか、部門間の微妙なバランスとか。

あるいは、上司は別のもっと大きな問題に取り組んでいて、私の提案は今の優先順位ではないのかもしれない。

「あぁ」

声が漏れた。

私は、自分の視点だけで世界を見ていた。自分の定義した『問題』を、誰もが同じように問題だと思っているはずだと。自分の提案した『解決策』が、誰にとっても解決策であるはずだと。

でも、それは思い上がりだったのかもしれない。

本の最後のページにこう書かれていた。

「知性とは、複数の視点を同時に保持できる能力のことだ。自分の見方を絶対視せず、『これは一つの見方に過ぎない』と認識できること。そして、他者の視点に立ったとき、世界がどう見えるかを想像できること。これができる人を、私たちは賢いと呼ぶ」

翌日、私は上司の部屋を訪ねた。

「昨日の提案について、もう少し詳しくお聞きしたいことがあります。私が見えていない制約や、配慮すべき点があれば教えていただけますか」

上司は少し驚いた様子だったが、話し始めた。

経営陣との過去の確執。別部門との予算の取り合い。三年前に失敗したプロジェクトの記憶。私が知らなかった文脈が、次々と明らかになった。

そして、私の提案も少し修正を加えれば、それらの制約の中で実現できるかもしれないという話になった。

「君が歩み寄ってくれたことが嬉しい」

上司はそう言った。

「自分の正しさを主張するだけの人は多い。でも、他の視点を理解しようとする人は少ない」

帰り道、私はあの本のことを考えた。

世界は、見る角度によって無限の姿を持つ。自分の見ている世界は、そのうちのたった一つに過ぎない。

それを知ることが、本当の意味で賢くなることなのだと思った。

私たちは誰もが、自分の『あたりまえ』という檻の中で生きている。でも、その檻から出る鍵は、いつも手の届くところにある。

他者の目で、世界をもう一度見ること。

それだけで、見える景色が変わる。

【執筆後記】『あ』の音と表現について

この物語で使った「あぁ」は、気づきと同時に、ある種の脱力を表しています。認識が変わる瞬間、人は力が抜けるような感覚を覚えることがあります。それまで握りしめていた確信が、ふっと手から離れていく感じです。

「あ」という音は、日本語の感嘆詞の中でも特に長さの変化で意味が変わる音です。「あ!」は鋭い驚き、「あぁ」は深いため息、「あー」は納得や諦念です。同じ母音でも、引き延ばし方一つで、話者の内面の動きが変わります。

今回選んだ「あぁ」には、主人公の複雑な心情を込めました。自分の思い上がりへの気づき、上司への申し訳なさ、そして同時に新しい理解への解放感。複数の感情が混ざり合った瞬間を、二文字の中に凝縮させたかったのです。

言語というのは不思議です。たった一つの音の長さが、人間の内面の襞を表現する。この繊細さこそが、日本語の持つ力なのでしょう。そして「あ」という最も基本的な母音が、最も複雑な感情を運ぶことができる。この逆説に、私はいつも魅了されます。

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