マンションの隣に、田中さんという老婦人が一人で暮らしている。
引っ越してきて三年になるけれど、挨拶を交わす程度の関係だった。たまに廊下で会うと、田中さんは少し寂しそうな笑顔を浮かべて会釈する。私も会釈を返す。それだけの付き合いだった。
先週の木曜日、スーパーで買い物をしていたら、田中さんを見かけた。重そうな袋を二つ持って、ゆっくりと歩いている。思わず声をかけた。
「田中さん、お荷物お持ちしますよ」
田中さんは最初驚いた様子だったけれど、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「まあ、悪いわね。でも助かるわ」
一緒にマンションまで歩いた。田中さんは歩きながら、ポツリポツリと話し始めた。最近膝が痛くて買い物が大変なこと。息子は遠くに住んでいて、年に一度会えるかどうかということ。でも、一人暮らしも慣れたから大丈夫だということ。
部屋の前で荷物を渡すと、田中さんは何度も頭を下げた。
「本当にありがとう。若い人がこんなに親切にしてくれて」
その日の夜、私の部屋のドアがノックされた。開けると、田中さんが小さなタッパーを持って立っていた。
「お礼よ。煮物を作りすぎちゃって」
受け取って食べてみると、優しい味がした。出汁がしっかり効いていて、野菜が柔らかく煮込まれている。母が作ってくれた料理の味に似ていた。
翌週、私が仕事で遅くなって帰ってきたとき、玄関前に小さな紙袋が置いてあった。中には手作りのクッキーと、メモが入っていた。
「いつも頑張ってるわね。甘いものでも食べて、元気出してね」
田中さんの字だった。私は思わず笑顔になった。
それから、田中さんとの交流が始まった。買い物で会えば荷物を持つ。時々、お茶に誘われる。田中さんの部屋には、古い写真がたくさん飾ってあった。若い頃の写真、結婚式の写真、息子さんの写真。
「昔はね、賑やかだったのよ」と田中さんは言った。「でも今は静かで。それもいいものだけれど、たまに誰かと話すのは嬉しいわ」
私も実家を離れて一人暮らしをしている。親とは電話で話すけれど、会うのは年に数回だ。田中さんと話していると、遠く離れた母のことを思い出す。
ある日、田中さんが体調を崩した。部屋から出てくる気配がなかったので、心配になってドアをノックした。弱々しい声で「入って」と言われて部屋に入ると、田中さんがソファで横になっていた。
「風邪をひいちゃって。大丈夫よ、すぐ治るから」
でも顔色は良くない。私はすぐに近所のクリニックに連れて行き、薬をもらって帰ってきた。その日は仕事を早退して、田中さんの看病をした。お粥を作り、薬を飲ませ、額に冷たいタオルを当てた。
夕方、田中さんは少し元気になって言った。
「あなたみたいな人が隣にいてくれて、本当に良かった」
その言葉を聞いて、私の目が熱くなった。
「私こそ、田中さんがいてくれて良かったです。いつもありがとうございます」
田中さんは目を細めて笑った。
「ありがとう、なんて。お互い様よ」
今朝、郵便受けに母からの手紙が入っていた。開けてみると、便箋に丁寧な字で書かれていた。
「最近、あなたの声が明るくなった気がする。何かいいことがあったの。元気そうで、母は安心しているわ」
あ、そうだったのか。私は気づいていなかったけれど、田中さんと過ごす時間が、私自身を変えていたのだ。
夜、田中さんの部屋を訪ねた。すっかり元気になった田中さんが、またお茶を淹れてくれた。
「田中さん、母から手紙が来たんです」と私は言った。「私、最近元気だって」
田中さんは嬉しそうに笑った。
「それは良かった。きっとあなたのお母さん、喜んでいるわよ」
そして、こう続けた。
「人はね、誰かの役に立てているって感じるとき、一番幸せなのよ。あなたは私を助けてくれる。私はあなたに料理を作る。それだけのことだけど、それがお互いの支えになっているのね」
窓の外では、春の夜風が吹いている。桜の季節が近づいている。
私は思う。人生は、小さな「ありがとう」の積み重ねでできているのかもしれない。誰かを助け、誰かに助けられ、そうやって温かさが循環していく。
離れて暮らす母にも、きっと伝わっている。私が大丈夫だということが。誰かに優しくされ、誰かに優しくして、ちゃんと生きているということが。
【執筆後記】『あ』の音と表現について
今回は「あ」という単音を選びました。気づきの瞬間を表す最もシンプルな形です。物語の中で主人公が「あ、そうだったのか」と気づく場面に配置しましたが、この「あ」は驚きというより、静かな理解を表しています。
興味深いのは、「ありがとう」という言葉も「あ」から始まることです。日本語において最も頻繁に使われる感謝の言葉が、五十音の最初の音で始まる。これは偶然ではないと私は考えます。「ありがとう」の語源は「有り難し」、つまり「存在することが稀である」という意味です。当たり前ではないことへの驚きと感謝が、この言葉の根底にあります。
驚き(あ)と感謝(ありがとう)は、実は同じ認識のプロセスから生まれます。何かに気づき、その価値を認識し、言葉にする。物語の主人公が自分の変化に気づく「あ」は、同時に田中さんへの感謝でもあり、人生そのものへの感謝でもあります。
この小説では、世代を超えた相互扶助を描きました。現代社会では希薄になりがちな人間関係ですが、ほんの小さな親切から始まる温かさの連鎖があります。「あ」という音は、その連鎖の起点となる気づきの音なのかもしれません。誰かの存在に気づき、手を差し伸べる。その最初の一歩が、すべての「ありがとう」を生み出すのです。
