ミッション78日目。
窓の外に地球が浮かんでいる。青い。本当に青い。何度見ても、この色には慣れない。透き通った海の色でもなく、晴れた空の青でもない。もっと深くて、もっと優しい青だ。
今日のタスクは午前中に終わった。太陽電池パネルの点検、水再生システムのメンテナンス、それから地上との定期通信。どれも予定通り。問題なし。報告すべき異常なし。
午後は自由時間になった。こんな日は珍しい。私は窓際に体を固定して、ただ地球を眺めている。
ステーションの中は静かだ。空調の音、機械の低い駆動音、それだけ。クルーは各自の作業に没頭している。誰も話しかけてこない。話しかける理由もない。
地球が回っている。ゆっくりと、でも確実に。90分で一周。私たちは一日に16回、日の出と日の入りを見る。今はちょうど夜の側に入るところだ。闇が広がり、街の灯りが小さく瞬き始める。
東京が見える。あそこに、母がいる。父がいる。妹がいる。彼らは今、何をしているだろう。夕食の支度をしているかもしれない。テレビを見ているかもしれない。それとも、もう眠っているだろうか。
打ち上げの前日、母が言った。「寂しくなったら、夜空を見上げるからね。あなたも地球を見て」
その時は、正直よく分からなかった。宇宙から地球を見るなんて、どれほど感動的だろうと、そればかり考えていた。でも今は分かる。母の言葉の意味が。
私たちは同じものを見ている。私は地球を見下ろし、母は空を見上げる。距離は400キロ離れているけれど、視線はどこかで交わっている気がする。
ステーションが昼の側に入った。インド洋が眩しく光る。白い雲が流れていく。台風が渦を巻いている。あれは人々に被害をもたらすかもしれない。でも、ここから見ると、ただ美しい渦にしか見えない。
不思議なものだ。こんなにも遠くにいるのに、地球のことばかり考えている。訓練を受けていた頃は、宇宙のことを考えていた。星のこと、銀河のこと、宇宙の果てのこと。でも今、私の目は地球から離れない。
窓の向こうに、月が見える。灰色で、静かで、孤独な月。あそこには誰もいない。いつか人類は月に基地を作るだろう。火星にも行くだろう。でも今はまだ、私たちだけだ。この小さなステーションの中に、たった六人。
あぁ、と思わず声が漏れた。
地球の端から、新しい朝日が昇ってくる。オレンジ色の光が大気の層を染め、虹色に輝く。何億年も前から、この星は同じように朝を迎えてきた。恐竜がいた時代も、人類が誕生する前も、ずっと。そして今も。
私がここにいてもいなくても、地球は回り続ける。それは寂しいことじゃない。むしろ、安心する。私たちは大きな流れの中のほんの一瞬で、でもその一瞬を確かに生きている。
妹が最後に送ってきたメッセージを思い出す。「お兄ちゃん、夜空に手を振ってるよ。見えなくても、ずっと応援してる」
見えないけれど、届いている。きっと。
地球が、また夜の側に入っていく。東京の灯りが見える。あの中のひとつひとつに、人の暮らしがある。笑いがあり、涙があり、日常がある。私も、ほんの数ヶ月前まで、あの灯りのひとつだった。
そしてあと一ヶ月後には、また戻る。
それまでは、ここから見守っている。静かに、ただ静かに。
地球は今日も回る。私は今日も、窓の外を眺めている。
【執筆後記】『あ』の音と表現について
今回、物語の中で「あぁ、と思わず声が漏れた」という一文を選びました。宇宙飛行士が朝日を見た瞬間です。この「あぁ」という言葉は、感嘆とも、溜息とも、気づきともつかない、極めて原初的な声です。
私が興味深いと感じるのは、「あ」という音が持つ開放性です。口を自然に開けば出る音。抵抗のない音。母音の中で最も開かれた音。それは、何かが胸の内から外へ、意識の奥底から表層へと滲み出てくる瞬間を象徴しているように思えます。
宇宙という極限の静寂の中で、人間が発する最も素朴な声。それが「あぁ」だったのは、計算ではなく、むしろ必然だったのかもしれません。言語以前の、魂の呼吸のような音。理屈を超えて、ただ存在を確認する音。
この物語には郷愁という感情を織り込みました。遠く離れた場所から故郷を想う心。その想いが「あぁ」という声になって漏れる瞬間に、宇宙飛行士の人間性が凝縮されているのではないかと考えました。静寂の中でこそ聞こえる、小さな声の大きさ。それを表現できていれば幸いです。
