
こんにちは!「あ」の探求を続けている皆さん。
「『あ』と読む漢字シリーズ」第17回は、「鐚」という漢字を取り上げます。
金偏に「悪」と書くこの漢字、実は日本で作られた国字なのです。「鐚」は二つの意味を持っています。一つは前回の「錏」と同じく「しころ(兜の垂れ)」という意味、そしてもう一つは「びた」と読んで粗悪な銭貨を意味します。
「びた一文も払わない」という表現を聞いたことがありますよね。この「びた」こそが、今回取り上げる「鐚」なのです。わずかなお金、ごくわずかな額を表すこの言葉の背景には、室町時代から江戸時代にかけての貨幣流通の興味深い歴史が隠されています。
金属を表す「金」と、悪いことを表す「悪」を組み合わせて「悪い金属貨幣」を表現した、まさに会意文字的な国字です。
今回は、日本の経済史を物語る「鐚」という漢字の世界を、じっくりと探っていきましょう!
「鐚」の読み方と意味と基本情報
読み方のバリエーション
「鐚」という漢字の読み方を見てみましょう。
音読み:
- 「ア」
訓読み:
- 「しころ」
- 「びた」
音読みでは「ア」と読み、訓読みでは「しころ」「びた」と読みます。
「しころ」という読み方は、前回取り上げた「錏」と同じく、兜の垂れを意味します。しかし、より一般的で興味深いのは「びた」という読み方です。これは粗悪な銭貨を指す日本独自の言葉なのです。
そして「ア」という音読みは、「錏」と同じく「亞」の音を受け継いだものです。この読み方があるからこそ、「鐚」は「あ.net」のテーマに含まれるのです。
漢字の基本構造
「鐚」は会意文字的な国字で、画数は21画。部首は「金(かねへん)」です。
左側の「金」が金属・貨幣を表し、右側の「悪」が品質の悪さを表しています。この組み合わせによって、「品質の悪い金属貨幣」という意味が一目で分かる、実に分かりやすい構造の漢字です。
興味深いのは、この漢字が中国から伝来したものではなく、日本で独自に作られた国字であるという点です。日本の経済史の中で生まれた特殊な貨幣を表すために、わざわざ新しい漢字が作られたのです。
「鐚」の成り立ちと意味の深さ
国字としての特徴
国字とは、中国から伝来した漢字ではなく、日本で独自に作られた漢字のことです。「峠」「働」「辻」「畑」など、日本の風土や文化に根ざした概念を表す国字が数多く存在します。
「鐚」もそうした国字の一つで、室町時代から江戸時代にかけて日本で流通した特殊な貨幣を表すために作られました。「悪」と「金」を組み合わせることで、「悪い金属=粗悪な銭貨」という意味を直感的に表現しているのです。
二つの意味を持つ漢字
「鐚」は珍しく二つの異なる意味を持っています。一つは「しころ(兜の垂れ)」という武具を表す意味、もう一つは「びた(粗悪な銭貨)」という貨幣を表す意味です。
「しころ」の意味では「錏」という漢字と同じ意味を持ち、実際に「鐚」は「錏」の異体字として扱われることもあります。しかし現代では、「鐚」といえば「びた銭」を指すことが圧倒的に多くなっています。
「鐚銭(びたせん)」とは何か
室町時代の貨幣事情
鐚銭を理解するには、まず室町時代の貨幣流通について知る必要があります。当時の日本では、国内で貨幣を鋳造する体制が整っておらず、主に中国から輸入された「渡来銭」が流通していました。
宋銭、元銭、明銭など、様々な時代の中国銭が日本国内で使われていました。中でも明の時代に鋳造された「永楽通宝」は、品質が良い銭として珍重されました。
私鋳銭の登場
しかし、渡来銭だけでは貨幣の需要を満たすことができませんでした。そこで、個人や地域の権力者が勝手に銭貨を鋳造する「私鋳銭(しちゅうせん)」が作られるようになりました。
これらの私鋳銭は、渡来銭を型取りして作られることが多かったのですが、型取りを繰り返すたびに銭貨が小さくなり、品質も劣化していきました。また、銅の含有量を減らして安価に作られたものも多く、非常に粗悪な銭貨が大量に出回るようになったのです。
「鐚銭」という名称の由来
こうした粗悪な私鋳銭は、やがて「鐚銭(びたせん)」と呼ばれるようになりました。「びた」という言葉の語源については諸説ありますが、品質の悪さから「びたびた」と音を立てる様子から来たという説や、「卑多」という字が当てられていたという説があります。
織田信長の時代、天正年間(1573〜1592年)頃から、畿内でこの「びた」という呼び名が定着し、やがて全国に広まっていきました。
鐚銭の種類と特徴
鋳写鐚銭
渡来銭をそのまま型取りして作られた鐚銭を「鋳写鐚銭(いうつしびたせん)」と呼びます。本物の銭貨を砂型などに押し当てて型を作り、そこに溶かした金属を流し込んで作ります。
しかし型取りを繰り返すたびに、銭貨は少しずつ小さくなっていきます。1回の型取りで約0.4ミリメートル小さくなるとされ、10回以上型取りを繰り返すと、元の銭よりも5ミリメートル以上小さくなってしまうこともありました。
独自の銘を持つ鐚銭
一部の鐚銭は、既存の渡来銭を模倣するのではなく、独自の銭銘を持っていました。「元通通宝」や「元福通宝」といった、中国には存在しない銘を持つ鐚銭も作られました。
また、古代日本の皇朝銭である「和同開珎」「万年通宝」「神功開宝」を模したものや、朝鮮の「朝鮮通宝」を模したものも存在しました。
材質の多様性
鐚銭は主に銅で作られましたが、銅の含有量は本物の渡来銭よりもはるかに少なく、ニッケルや鉛などの他の金属が多く混ぜられていました。また、一部には鉄で作られた鐚銭も存在し、磁性を持つものも見られます。
品質の悪さから、文字が判読できないほど潰れているものや、一部が欠けているもの、穴が正しく開いていないものなど、様々な不良品が流通していました。
撰銭と経済の混乱
「撰銭(えりぜに)」という行為
鐚銭が大量に流通するようになると、人々は支払いを受ける際に、品質の良い銭と悪い銭を選り分ける「撰銭(えりぜに)」という行為を行うようになりました。
商人は良質な銭だけを受け取り、鐚銭の受け取りを拒否したり、あるいは鐚銭なら数倍の量を要求したりしました。このため、同じ額面の取引でも、使う銭の種類によって実際に必要な枚数が大きく異なるという混乱が生じました。
撰銭令の発令
こうした混乱を収めるため、室町幕府や戦国大名たちは「撰銭令(えりぜにれい)」を発令しました。これは撰銭を禁止し、鐚銭であっても額面通りに受け取らせようとする法令です。
しかし民衆の鐚銭への不信感は根強く、撰銭令は何度も出されながらも、なかなか効果を上げることができませんでした。
永楽銭との交換比率
混乱を収めるため、織田信長や豊臣秀吉の時代には、良質な永楽銭と鐚銭の交換比率が定められました。一般的には、永楽銭1枚に対して鐚銭4枚という比率でした。
つまり鐚銭は、額面上は同じ「一文銭」であっても、実際の価値は永楽銭の4分の1しかないと公認されていたのです。
江戸時代の鐚銭
「京銭」という呼び名
織田政権の時代、一定の品質基準を満たした鐚銭には政府の保証が付けられるようになりました。こうした保証付きの鐚銭は、京都で一般的に通用する貨幣とみなされ、「京銭(きんせん)」と呼ばれるようになりました。
「鐚銭=粗悪な銭」というイメージから、「京銭=一定の品質を持つ銭」へと、呼称の転換が起こったのです。
寛永通宝の登場
江戸幕府は1636年(寛永13年)から、独自の銭貨である「寛永通宝」を大量に鋳造し始めました。統一された品質の銭貨が安定して供給されるようになると、雑多な鐚銭は次第に姿を消していきました。
幕府は渡来銭や私鋳銭の使用を厳しく禁じ、寛永通宝のみを正式な通貨として流通させる政策を取りました。こうして鐚銭の時代は終わりを告げたのです。
江戸時代の「鐚銭」の意味
興味深いことに、江戸時代中期以降、「鐚銭」という言葉は寛永通宝の鉄一文銭を指すようになりました。銅銭に対して価値が低いとされた鉄銭を「鐚銭」と呼ぶようになったのです。
これは「鐚=粗悪な・価値の低い銭」という意味が、時代を超えて受け継がれていたことを示しています。
「びた一文」という慣用句
語源となった鐚銭
現代でも使われる「びた一文」という表現は、まさにこの鐚銭に由来しています。鐚銭一文は、永楽銭の4分の1の価値しかない、ごくわずかな額でした。
「びた一文も払わない」「びた一文も負けられない」といった表現で、極めて少額のお金、あるいは一銭も出さないという強い意思を表すのに使われます。
現代語としての定着
「びた一文」という言葉は、鐚銭という貨幣そのものは消えてしまった現代でも、慣用句として生き続けています。多くの人が日常的に使う表現ですが、その語源が室町時代の粗悪な貨幣にあることを知っている人は少ないでしょう。
言葉の背景にある歴史を知ることで、普段何気なく使っている表現に新たな深みが加わります。
古銭収集と鐚銭
コレクターの間での価値
現代の古銭収集の世界では、鐚銭は興味深いコレクション対象となっています。品質が悪く、当時は価値が低いとされていた鐚銭ですが、歴史的資料としての価値は決して低くありません。
特に銭銘がはっきりと読めるもの、保存状態が良好なもの、珍しい種類のものなどは、コレクターの間で高く評価されることがあります。
鐚銭から学ぶ歴史
鐚銭を観察すると、当時の経済状況や貨幣鋳造技術、流通の実態などを知ることができます。一枚一枚が歴史の証人なのです。
博物館や郷土資料館などで、鐚銭の実物を見る機会があれば、ぜひ手に取ってみてください。文字の潰れ具合、大きさの不揃い、材質の粗さなどから、当時の経済的混乱を実感することができるでしょう。
「鐚」の書き方とバランス
美しく書くためのポイント
「鐚」は21画の非常に複雑な漢字です。左右のバランスを取るのが難しい文字ですが、いくつかのポイントを押さえることで美しく書くことができます。
左側の「金」(かねへん)は、やや小さめに縦長に書きます。右側の「悪」は大きくゆったりと書くことで、全体のバランスが取れます。
「悪」という字は上下に「亞」と「心」が重なった構造ですが、上の「亞」をやや小さめに、下の「心」を大きめに書くと安定します。
全体としては、左右の比率を3:7程度にすると、美しい形になるでしょう。
筆順のポイント
左側の金偏から書き始め、右側の「悪」へと進みます。「悪」は上の「亞」から書き始め、最後に下の「心」を書いて完成させます。
21画という多い画数ですが、一画一画を丁寧に書くことで、整った美しい文字になります。
金偏の仲間たち
貨幣に関する漢字
金偏を持つ漢字には、貨幣や金属に関するものが多くあります。「銭(ぜに)」「銅(どう)」「銀(ぎん)」「金(きん)」など、通貨や貴金属を表す基本的な漢字がこれに該当します。
「鐚」もこうした金属・貨幣関連の漢字の一つですが、「悪」という字を含むことで、他の貨幣関連の漢字とは異なる、否定的なニュアンスを持っているのが特徴です。
「錏」との関係
前回取り上げた「錏」も金偏を持つ漢字で、しかも「鐚」と同じく「しころ」という読み方を共有しています。この二つの漢字は、異体字として扱われることもあります。
ただし現代では、「しころ」を表す場合は「錏」、「びた銭」を表す場合は「鐚」と使い分けられることが多いようです。
経済史から見た鐚銭の意義
貨幣需要の高まり
鐚銭が大量に作られた背景には、室町時代から戦国時代にかけての経済発展がありました。商業が活発化し、貨幣経済が浸透していく中で、貨幣の需要が供給を大きく上回るようになったのです。
渡来銭だけでは足りない貨幣需要を、私鋳銭である鐚銭が補う形になりました。品質は悪くても、貨幣として機能することが重視されたのです。
統一貨幣への道
鐚銭による混乱を経験した江戸幕府は、統一された品質の貨幣を安定供給することの重要性を認識しました。寛永通宝の大量鋳造と流通は、日本における統一貨幣制度の確立という点で、画期的な出来事でした。
鐚銭の時代は、日本が近代的な貨幣制度へと向かう過渡期の姿を象徴しているのです。
漢字検定での位置づけ
1級レベルの難しい漢字
「鐚」は漢字検定1級のレベルに分類される、非常に難度の高い漢字です。「びた一文」という表現は知っていても、それが「鐚一文」という漢字で書かれることを知っている人は少ないでしょう。
日常生活で書く機会はほとんどありませんが、日本の経済史や古銭に関心のある方には、ぜひ知っておいてほしい漢字です。
常用漢字・人名用漢字には含まれない
「鐚」は常用漢字にも人名用漢字にも含まれていません。そのため、一般的な文章では「びた一文」とひらがなで書かれることがほとんどです。
ただし、歴史書や古銭の専門書では、この漢字が使われることがあります。
他の「あ」と読む漢字との比較
これまでこのシリーズで見てきた漢字と比較してみましょう。
「丫」は形態を、「亞」は構造を、「阿」は地形を、「椏」は植物を、「蛙」は動物を、「痾」は病を、「窪」は地形の凹みを、「鴉」は鳥を、「錏」は武具を表していました。
そして「鐚」は、日本の経済史における特殊な貨幣を表しています。しかも日本で作られた国字という点で、このシリーズの中でも特別な位置を占めています。
「あ」という音が、中国由来の漢字だけでなく、日本独自の国字にまで広がっていることに、言葉の持つ柔軟性を感じます。
まとめ:「鐚」という漢字が教えてくれること
今回は「鐚」という、日本の経済史を物語る国字の世界を探ってきました。
室町時代から江戸時代にかけて流通した粗悪な貨幣、鐚銭。この貨幣が生まれた背景には、貨幣需要の高まり、私鋳銭の氾濫、経済的混乱、そして統一貨幣への模索という、日本経済の重要な転換期がありました。
「鐚」という一文字には、こうした激動の時代が凝縮されているのです。そして「びた一文」という慣用句として、その名残は現代まで生き続けています。
次回「びた一文」という言葉を使うとき、あるいは時代劇で「鐚銭」という言葉を耳にしたとき、室町時代の経済的混乱と、そこから生まれた独特の貨幣文化を思い出してみてください。
シリーズ17回目となる今回、「あ」という音が表現する世界は、日本独自の経済史へと広がりました。次回も、「あ」の探求の旅は続きます。一緒に言葉と歴史の深い世界を歩んでいきましょう!
