私は毎日、同じ道を通って会社に向かっていた。駅までの十五分間、足元だけを見つめながら歩く。道端に咲いている花の名前も知らなかったし、知りたいとも思わなかった。
そんなある朝のこと。いつものように改札を通り抜けようとしたとき、後ろから小さな声が聞こえた。
「すみません」
振り返ると、白い杖を持った年配の女性が立っていた。改札の前で立ち止まり、困ったような表情をしている。
「どうかされましたか」
私は思わず声をかけた。
「ICカードの残高が足りないみたいで」
女性は申し訳なさそうに笑った。
私はすぐに駅員さんを呼び、チャージの手伝いをした。それだけの出来事だったはずなのに、女性は何度も何度も頭を下げて礼を言った。
「あなたのような方がいらっしゃると、本当に助かります。今日はいい日になりそうです」
そう言って女性は改札を通っていった。その背中を見送りながら、私は不思議な気持ちになった。
ホームで電車を待っているとき、ふと顔を上げた。そして見えた。空が、こんなにも青かったなんて。
私は何年も、空を見上げていなかったのだと気づいた。
電車に揺られながら、窓の外を眺めた。流れていく景色の中に、小さな公園があった。滑り台で遊ぶ子どもたちの姿が見えた。ベンチに座って新聞を読むおじいさんがいた。犬の散歩をしている人がいた。
いつもの風景のはずなのに、初めて見るもののように新鮮だった。
会社に着いて、デスクに座る。パソコンを開く前に、もう一度窓の外を見た。ビルの谷間から見える空は、やはり青かった。
「おはようございます」
隣の席の田中さんが声をかけてきた。いつもならそっけなく挨拶を返すところだったが、今日は違った。
「おはようございます。今日はいい天気ですね」
田中さんは少し驚いたような顔をしてから、にっこりと笑った。
「本当ですね。こんな日は外でランチでもどうですか」
「いいですね」
私はそう答えた。
昼休み、田中さんと二人で近くの公園に行った。コンビニで買ったサンドイッチを食べながら、他愛もない話をした。仕事のこと、週末の予定、好きな映画のこと。
あぁ、こんな時間もいいものだなと思った。

ベンチに座って空を見上げると、白い雲がゆっくりと流れていた。風が心地よく頬を撫でた。木の葉が揺れる音が聞こえた。
「最近、何か変わりました?」
田中さんが不思議そうに尋ねた。
「どうしてですか」
「なんとなく、明るくなったような気がして」
私は少し考えてから答えた。
「今朝、駅で小さな親切をしただけなんです。でも、それから何か、世界の見え方が変わったような気がして」
田中さんは優しく微笑んだ。
「それ、わかります。私も昔、似たようなことがありました」
午後の仕事は、いつもより集中できた。書類の山も、無理な締め切りも、それほど苦痛には感じなかった。窓の外の空を時々眺めながら、私は黙々と作業を進めた。
帰り道、私は駅までの道をゆっくりと歩いた。足元だけでなく、周りの景色も見ながら。道端に咲いている花は、小さな紫色の花だった。名前は知らなかったけれど、きれいだと思った。
改札を通るとき、あの女性のことを思い出した。今頃どこかで、誰かに優しくされているかもしれない。あるいは、誰かに優しくしているかもしれない。
電車の中で、私はスマホではなく、窓の外を見ていた。夕焼けが街を染めていた。オレンジ色の光が、ビルの窓に反射して輝いていた。
家に帰って、ベランダに出た。夜空には星が瞬いていた。
私は思った。明日も、空を見上げよう。そして、誰かに優しくしよう。小さなことでいい。それだけで、世界は少し変わるのだから。
【執筆後記】『あ』の音と表現について
今回の物語では「あぁ」という感嘆を選びました。この音には、ため息のような脱力感と、何かに気づいた瞬間の柔らかな驚きが同居しています。主人公が公園のベンチで空を見上げながら発するこの言葉は、長い間忘れていた穏やかな時間への回帰を象徴しています。
「あ」という音は日本語の母音の中でも最も開放的で、口を大きく開けて発声します。この生理的な特徴が、心の扉が開く瞬間と不思議に呼応するのです。閉ざしていた感覚が解放され、周囲の世界を再び受け入れ始める。そんな心の動きを、たった一文字が担っている。
物語の中で描いた感情は、日常の中で見失っていた感覚を取り戻す喜びです。それは劇的な変化ではなく、むしろ静かな気づきの連鎖として現れます。朝の小さな親切が、空の青さへの気づきを生み、それが他者との会話を変え、世界の見え方そのものを変えていく。
この緩やかな変容を表現するのに、「あぁ」という伸ばした音は最適でした。短い「あ!」では驚きが強すぎ、「あ?」では疑問が前面に出てしまう。長く息を吐き出すような「あぁ」だからこそ、心の中で何かがゆっくりと溶けていく感覚を表現できたのだと考えています。
