
午後三時、いつものように公園のベンチに座った。
隣に座っている老人が、小さな機械を手のひらに載せている。透明な樹脂でできた箱の中で、真鍮色の歯車が規則正しく回転していた。カチカチという音が、秋の空気に溶けるように響く。
「これ、いいでしょう」
老人は私に向かって言った。初対面だった。
「何に使うんですか」
「使わない。ただ回っているだけ」
あ、そうなんだ。私はそう答えて、また前を向いた。鳩が地面をつついている。風が木の葉を揺らしている。世界はいつもと同じように動いていた。
老人は機械を見つめながら、ゆっくりと話し始めた。
「若い頃、時計屋で働いていた。毎日毎日、時を刻む仕組みを組み立てた。でもね、ある日気づいたんだ。時計が測るのは時間じゃない」
「じゃあ何を測るんですか」
「安心感だよ。世界がちゃんと進んでいるという確認」
老人の言葉は奇妙だったけれど、不思議と納得できた。私たちは時計を見るとき、本当は時刻を知りたいわけじゃない。ただ、自分がまだこの流れの中にいることを確かめたいだけなのかもしれない。
「この機械はね、何も測らない。ただ回る。それだけで十分なんだ」
透明な箱の中で、歯車は変わらず回り続けている。目的もなく、行き先もなく。でもその動きには、何か心地よいリズムがあった。
私は自分のポケットに手を入れた。スマートフォンが入っている。メールの通知、SNSの更新、ニュースの速報。止まることのない情報の流れ。それらはすべて、私に何かを要求していた。
「見せてもらってもいいですか」
老人は笑顔で機械を手渡してくれた。軽かった。手のひらに収まる小さな宇宙。歯車の一つ一つが丁寧に組まれ、無駄のない動きで連動している。
「美しいでしょう」
「ええ」
私は本当にそう思った。この機械には、何の意味もない。でもだからこそ、完璧だった。誰かを急かすこともなく、誰かを測ることもなく、ただ存在している。
老人は機械を受け取ると、また眺め始めた。
「人はね、何かの役に立つことばかり考える。でも役に立たないものの中にこそ、本当の豊かさがあるんだ」
その言葉を聞いて、私は少し胸が軽くなった気がした。仕事の締め切り、達成すべき目標、評価される自分。そういうものから、ほんの少しだけ解放された感覚。
公園を出るとき、老人はまだベンチに座っていた。透明な箱を見つめながら、静かに微笑んでいた。
私は歩きながら考えた。役に立たない美しさ。意味のない完璧さ。それを愛でることができる心の余裕。
もしかしたら、それこそが人間らしさなのかもしれない。効率や成果だけを追い求める毎日の中で、私たちは大切な何かを忘れていたのかもしれない。
夕暮れの空が、オレンジ色に染まり始めていた。
【執筆後記】『あ』の音と表現について
今回の小説で使った「あ、そうなんだ」という一言は、語り手が老人の言葉を受け入れる瞬間を表現するために選びました。この「あ」は納得でも驚きでもなく、むしろ緊張が解ける音だと思います。
「あ」という音には、母音の中で最も開放的な響きがあります。口を大きく開けて発する音。それは抵抗のない受容、フィルターを通さない素直な反応を象徴している気がします。言葉を選ぶ前の、思考が形になる直前の瞬間です。
この物語のテーマは、無目的な美しさへの気づきでした。だから「あ」という感嘆も、理屈や解釈を挟まない、そのままの受け止めとして機能させたかったのです。計算されていない、飾られていない応答。それが、透明な歯車の機械が持つ純粋さと呼応すると考えました。
日常の中で私たちは、驚くべきことに出会っても「あ!」と大げさに反応することは少ないものです。むしろ「あ、そうか」という静かな了解の方が多いでしょう。この小さな音の中に、世界を新しく見る可能性が潜んでいます。
