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【小説】ああ、これが答えだったのか、という朝

十一月の冷たい朝、私は山奥の禅寺にいた。

ここに来て三日目になる。会社を辞めて、行き場を失って、ただなんとなく座禅会のチラシを見かけて申し込んだ。深い理由なんてなかった。ただ、静かな場所に行きたかった。

朝四時に起床の鐘が鳴る。暗い廊下を歩いて本堂へ向かう。他の参加者たちも無言で歩いている。十人ほどだろうか。年齢も性別もバラバラだ。みんな、何かを探しているような顔をしている。

本堂は冷え切っていた。吐く息が白い。座布団の上に座り、足を組む。半跏趺坐という組み方を教わった。両足を組む結跏趺坐は私にはまだ無理だ。

老師が入ってくる。七十歳を超えているだろうか。背筋がぴんと伸びていて、足音がない。まるで空気のように静かに歩く。

「では、始めます」

それだけ言って、老師も座った。

静寂。

最初は何も考えないようにしようとした。でも、考えないようにすればするほど、雑念が湧いてくる。昨日の夕食のこと。辞めた会社の上司のこと。別れた恋人のこと。未来への不安。過去への後悔。

足が痛い。腰も痛い。時計を見たい衝動に駆られる。でも、ここには時計がない。

どれくらい経っただろう。永遠のように感じる。

不意に、老師の声がした。

「皆さん、今、何を考えていますか」

誰も答えない。

「考えまいとしていますか。それとも、考えることに溺れていますか」

私はどきりとした。まさに、その通りだった。

「禅は、何も考えないことではありません。考えが浮かぶのは自然なこと。川の水が流れるように、考えは流れていきます。それを止めようとするから苦しい。ただ、眺めていればいい」

老師の声は穏やかだった。

「自分の呼吸を数えてごらんなさい。ひとつ、ふたつ、みっつ。十まで数えたら、また一から。ただそれだけです」

私は目を閉じた。呼吸に意識を向ける。

ひとつ。息を吸う。

ふたつ。息を吐く。

みっつ。

途中で雑念が入る。また一から。

ひとつ、ふたつ。

また雑念。また一から。

何度も何度も繰り返す。不思議なことに、だんだんと心が落ち着いてきた。呼吸だけに集中していると、他のことがどうでもよくなってくる。足の痛みも、腰の痛みも、遠くにある感じがする。

そして、ふと気づいた。

私は今、何も求めていない。何も恐れていない。ただ、呼吸をしている。ただ、ここにいる。それだけで、十分だった。

座禅が終わった。一時間が経っていたらしい。でも、時間の感覚が曖昧だった。長かったような、短かったような。

朝食は質素だった。玄米のお粥と、漬物と、味噌汁。でも、こんなに美味しいと感じたのは久しぶりだった。一粒一粒の米の味が分かる。噛むたびに、甘みが広がる。

老師が話した。

「禅の修行は特別なことではありません。歩くこと、食べること、掃除をすること。すべてが修行です。大切なのは、今この瞬間に在ること。過去を悔やまず、未来を憂えず、ただ今を生きる」

午前中は作務の時間だった。庭の落ち葉を掃く。ゆっくりと、丁寧に。一枚一枚の落ち葉を拾い上げる。紅葉した葉、枯れた葉、まだ緑が残っている葉。同じ葉は一つとしてない。

竹箒で地面を掃く。シャッ、シャッという音が心地よい。風が吹いて、また落ち葉が舞う。でも、イライラしない。また掃けばいい。それだけのことだ。

作務が終わって、また座禅。

今度は午前中よりも深く入れた気がする。呼吸を数えているうちに、自分と呼吸の境界が曖昧になってくる。私が呼吸をしているのか、呼吸が私を生かしているのか。

鳥のさえずりが聞こえる。風が木の葉を揺らす音。遠くで水の流れる音。それらすべてが、一つの音楽のように調和している。

ああ、と思った。

これが、答えだったのか。

私が探していたものは、どこか遠くにあるのではない。いつも、ここにあった。呼吸の中に、足音の中に、食事の中に、掃除の中に。日常のすべての瞬間に。

ただ、私が気づいていなかっただけ。

会社を辞めたこと。恋人と別れたこと。それらはもう、どうでもよくなった。いや、正確には、それらも含めて、すべてが必要だったのだと思えた。あの経験があったから、今ここにいる。それでいい。

座禅が終わって、老師が言った。

「悟りとは、特別な境地ではありません。いつもの自分に戻ること。本来の自分を思い出すこと。それだけです」

夕暮れ時、縁側に座って夕日を眺めた。山の端に沈んでいく太陽。刻々と変わっていく空の色。オレンジから、ピンクへ、そして紫へ。

美しい。ただ、美しい。

この瞬間は、もう二度と来ない。だからこそ、尊い。

明日、私はこの寺を出る。東京に戻る。また、日常が始まる。でも、もう以前の私ではない。何かが変わった。いや、何も変わっていない。ただ、見方が変わっただけ。

それで十分だった。

夜、最後の座禅をした。目を閉じて、呼吸を数える。ひとつ、ふたつ、みっつ。

静寂の中に、すべてがある。

何も足さず、何も引かず、ただ在る。

これが、禅なのだろう。

目次

【執筆後記】『あ』の音と表現について

今回は「ああ、と思った」という表現を選びました。主人公が座禅中に突然訪れる気づきの瞬間です。この「ああ」には、驚きと納得が同時に含まれています。

禅の世界では「悟り」の瞬間を描くことは非常に難しいものです。なぜなら、それは言葉で説明できるものではないからです。でも、「ああ」という声には、言語化以前の直観的な理解が込められています。頭で理解するのではなく、全身で感じ取る瞬間。それを最も端的に表すのが、この原初的な音だと考えました。

物語には安心という感情を織り込みました。禅の修行を通じて、主人公は何も得ていません。むしろ、すでに持っていたものに気づいただけです。探し求める必要はなかった。すべては最初からここにあった。その気づきがもたらす深い安心感こそ、禅の本質だと思います。

「ああ」という音の後に続く句読点も悩みました。「ああ!」では強すぎる。「ああ…」では余韻が長すぎる。「ああ、」のカンマ一つに、静かな納得と次の言葉へのつながりを込めました。禅は派手な悟りではなく、静かな気づきです。その静けさを、一つの音と一つの読点で表現したかったのです。

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